建設当時1   讃美歌について…  今日の聖句 はじめに 





過去 萌芽 福岡50年の歩み…より
 塚教会は、昭和九年八幡教会の建設を終わったドレル神父が、筑豊炭田の中心都市として人口が増える一方であった飯塚市に宣教の手を伸ばして建てたものである。

 当時ドレル神父の協力者として働いていた三浦知行氏(現在佐賀県大和町ロザリオの園事務長)が教会と幼稚園用地を探しているとき、新飯塚の熊野町にあった麻生太賀吉氏所有の水田五百坪余りを分譲してもらうことになり、そこに十年司祭館と聖堂併用の建物および幼稚園と伝道士住宅を建てることができた。
 神父は月二回八幡から出張して来たが、同年八月八幡教会をドルエ神父に託して自分は飯塚に移った。

飯塚は当時人口約十万、長崎地方から炭鉱に働きに来た信者も多く、一年後には百八十人数えた。


写真は、昭和10年のクリスマス会(飯塚聖母幼稚園)
 また洗礼志願者も増え、そのころの復活祭には五十人近い集団改宗があり、ブルルトン司教自ら洗礼を司式したほどであった。

また幼稚園児の送り迎えにドレル神父は馬車を使っていた。
子供の座席の屋根つきのきれいなもので、これは町の名物になったが、やがて馬車にかえて自動車を購入した。
スクール・バスの使用は、当時としては他に全く例のないことであった。


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